2015年の出来事なので、ずいぶん昔のような気もしますが
自分にとって、とても大切で意義深い1日でしたので、きちんと残しておこうと思います。
この年は、講師ネットワークの世話人に就任、ほどなく講師研修の講師役を2回引き受けたり
韓国語講師養成講座(韓国の国家試験の準備講座)受講とめまぐるしく走り回っていた1年でした。
そんな中でしたが、師匠のキムテウン先生の強い勧めで
韓国でネイティブスピーカーの先生方を対象としたエッセイコンテストに応募して
ありがたいことに奨励賞をいただいたのです。
その授賞式の日の日記を過去のブログから持ってきました。
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お忙しい総長のご登場まで、他の先生方と談笑タイム。
今回は服装のせいか、小さいキャリーを引いていたせいか、どこに行っても「日本人」扱いを受けました。
実はこんなの初めて私って、顔立ちが韓国の顔だよね、と言われることが多いんです。日本でも韓国でも。
在日僑胞3世なんですと何度も説明したんですけど、それでも3世ならもう日本人だよ、と。
だからこそ、韓国語でしっかり文章を書けるなんてすごいよ、と褒めていただいたのですが
嬉しいようななんだか微妙な感じもありました。
ずっと、いろんなモヤモヤを抱えながら生きてきたんですけどね~
生粋の日本人でもなく、ネイティブの韓国人でもなく、在日コリアンでもなくなり。
どこのグループに入っていいのかわからないまま、全員と仲良くしてました。
でも、私の場合は日本国籍も取ってるし、名前も日本名だから、
もうスッキリと韓国系日本人です!でいいんでしょうね。引導を渡された気分です。
日本人で初受賞ということでいきましょう
(おそらく異論はあると思いますけどね)
最後まで、なんで日本の人がここにいるの?待遇でしたけど、別にイヤな感じではなく、不思議そうな感じという印象でした。
" 저
일본말 몰라요. 아, 이것만
알아요.
아리가토고자이마스~! "
私が韓国語わかるから大丈夫です、と何度伝えても、50代の先生方の受賞の多い賞のせいか
外見がイメージに合わないのか、最後まで楽しくいじられていました。
「ありがとごじゃいます」って、今回、私にドヤ顔で言ってくださる方が多かったのですが
なんか歌で流行ったんですかね?ちょっと面白かったです
で、授賞式です。
受賞者のほとんどの先生方は海外在住なので、ご家族の代理出席が多かったです。
代理なので、受賞スピーチ等は特になく、ひとりずつ、賞状と花束を受け取って記念撮影をします。
めちゃ緊張しました~
司会をしてくださっている육효창 教授が、作品の紹介をはさみながら和やかに進行します。
ハンガリー、フランス、オーストラリア、アメリカ、カザフスタン…本当に世界中からの応募があったんですね。
最後は、出席者全員で記念撮影しました。
最優秀賞はハンガリーで活躍されている先生だそうで、ご両親が代理出席されていました。
この日の授賞式の模様は韓国のニュース記事にも出たんです。
入賞なので、私の名前も記事の中に出てるんですよ♪
もう一生の記念になりますね
在日の家といえども完全核家族だったので、日本語が母語です。
約30年前に8年通った民族学校を中退して日本の高校大学に進学してからも、少しずつ勉強を続けていました。
約20年前に通訳案内士の資格が取れてしまい、留学するモチベーションがなく、日本で韓国語を学び続けました。
独身の頃に通っていた通訳学校の日韓通訳コースが1年でなくなってしまってからは、ほぼ独学。
外大を出たわけでもないし、実力を証明できるものがなくて、ずっと検定試験を受け続け、
教え始めと同時の妊娠で、誰も雇ってくれないので起業したのが11年前。教えながら勉強して今に至ります。
約3年前のジョニー師匠との出会いが大きなターニングポイントになったわけです
韓国語と韓国語教育について、学ぶことにますますはまりそうです。
そして、褒められ慣れていない私をうまく乗せまくり、今年1年ハンセミと
韓国語教員養成課程でもずっとフォローして下さった
阪堂千津子先生 감사합니다
長いこと孤独に韓国語を学び教え続けていたのに、こんなことってあるんですね~
世宗大王様、ありがとうございます!
勉強ばかりして、女らしさとほど遠い娘をずっと支えてくれた両親。
教師どうしの職場結婚だった両親。そして母は無名ですが、実は小説家なんです。
先生の授業体験記エッセイコンテストって カエル親子ですね。
DNAにも感謝です。
自慢の記事になってしまって、失礼しました。
今日も、ハングルぽんぐ~る!